┃ コラム 「上杉鷹山」
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┃ 高牧 寛 2005/1/27
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上杉鷹山という人物をご存知でしょうか?
むかしアメリカの故・ケネディ大統領が
来日を前に記者会見を行なった際に、
「日本の歴史上の人物の中で尊敬する人物は誰か」
との問いに対し、
「ウエスギ・ヨウザン」
と答えたそうです。記者の誰もが
「ウエスギ・ヨウザンて誰?」
と首をかしげたそうですが、
なぜケネディが上杉鷹山を尊敬していたか、
いやその前に、なぜ上杉鷹山を知っていたのでしょう?
それは明治時代のキリスト教指導者として著名な
内村鑑三が著した『代表的日本人』という書に
彼のことが紹介されていたからなのです。
ケネディは来日の前に日本について知ろうと思い、
同じクリスチャンとしての目線で日本を生きていた
内村鑑三の書を読んだのでしょう。
その中で上杉鷹山の存在を知ったようです。
そして彼の行なった業績とその精神に尊敬の念をもったと思われます。
そしてこれからの日本との関係に希望を持ったのではないでしょうか?
(ただ残念ながら来日の前に暗殺されてしまうのですが…)
上杉鷹山は江戸時代中期の米沢藩主で、
当時、会社でいう「破産状態」の米沢藩を
見事に復活させ、更に大発展させた人物です。
そもそも米沢藩がなぜ衰退していったかについては
上杉謙信や吉良上野介が絡んでいて、
「なるほど?」という事実があるのですが、
それは今回は割愛させていただきます。
鷹山はハンディキャップ(他家から養子に入った・年が若い・何も知らない)
という自身の状況をよく認識した上で
それを逆に“開き直り”の材料として、思い切った手を打っていったのです。
士農工商の厳しい封建時代にあって
藩を立て直すためには武士も農民も全て同等という、
民主主義社会を確立したのです。
そこにはリーダーとしての率先垂範の日常行動と誠実な振る舞い、
そして何よりも、
「愛」?他者へのいたわり・思いやりの徹底がありました。
その優しさが、北風と太陽の例ではありませんが、
人々に自発的に古い外套を脱がせ、
進んで鷹山の改革に協力して勤しんでいったのです。
鷹山はこの時代にあって「民があっての藩主である」との
自覚のもとに米沢藩の経営改革を大成功させたのです。
こんなエピソードがありました。
――鷹山が19歳で初めて米沢藩に入る際、
駕籠(かご)の中から雪の米沢の惨憺たる現状を見るにつけ
ますます不安と絶望が膨らんでいく中、
手元の火鉢に炭火がなくなっていることに気づきます。
何気なく火箸で灰を探っていると、
小さな小さな炭火が残っているのを見つけました。
この「火種」を丁寧に熾しながら別の炭に火を移し、
少しずつ火を増やしていき、
部下たちにも分け与えていったのです――
鷹山はこの「火種」に希望を感じました。
ほんのわずかな火種でも、大きな炎にしていくことができる。
この火種に自らを投影させ、火種となろうと決意したのです。
ケネディは日本という不思議な国にあって
こんな民主的なリーダーが存在したことに、
さぞや感動し、日本に希望を抱いていたに違いありません。
私は鷹山のようなリーダーになりたいと思っています。
世の中にさまざまな“成功者”といわれる人々がいらっしゃいますが、
一会社という次元をはるかに超えて、
悪環境を乗り越えて国を変える大偉業を行なってきた
人類史に輝く巨人たちに共通していることは、
1人の人を大事にする「愛」を徹底していた
ということだと思います。
今世の中はさまざまな価値観が飛び交い、
急速な変化を続けていますが、
人間性の根本は変わりません。
私もまだまだ小さな小さな火種ですが、
これからも
関わっていく方々に希望の火を移していける人間になれるよう
日々挑戦していく決意です。